柿谷曜一朗の現役時代がすごすぎた!経歴から天才エピソードも紹介!

サッカー

最近、バラエティ番組でよく見かける元サッカー日本代表FWの柿谷曜一朗さん。

「この人、めっちゃ喋れて面白い!でも現役時代はどんな選手だったんだろう?」と思って調べてみた方も多いのではないでしょうか?

実は柿谷さん、現役時代から“天才”と称されたスゴい選手だったんです!4歳からサッカーを始め、日本代表としてW杯にも出場した実績の持ち主。

この記事では、柿谷さんの「所属チーム・年俸のタイムライン」、数々の「天才エピソード」、そして「引退後の現在」までを一挙にご紹介します!

柿谷曜一朗の所属チーム・年俸タイムライン

まずは、柿谷曜一朗(1990年1月3日、大阪府出身)のプロキャリアを時系列で追ってみましょう。

年度所属チーム推定年俸
1994-1999年セレッソ大阪スクール
2000-2001年セレッソ大阪U-12
2002-2004年セレッソ大阪U-15
2005年セレッソ大阪U-18
2006-2007年セレッソ大阪 380万円
2008年セレッソ大阪 500万円
2009年徳島ヴォルティス500万円
2010年徳島ヴォルティス600万円
2011年徳島ヴォルティス800万円
2012年セレッソ大阪1000万円
2013年セレッソ大阪1500万円
2014-2015年FCバーゼル(スイス)5000万円
2016-2017年セレッソ大阪7000万円
2018年セレッソ大阪7200万円
2019年セレッソ大阪5000万円
2020年セレッソ大阪4000万円
2021-2022年名古屋グランパス1億円
2023-2024年徳島ヴォルティス不明

年俸の出典:https://youtu.be/Rb2B5ZLUcxU?si=-civoqwJTPsN7Yxa

日本では3チーム、海外では1チームに所属した経歴があります。

特に幼少期から過ごしたセレッソ大阪でのプレー期間が長いですね。

年俸もJリーガーでは高水準であり、2023-2024年では1億円を記録。2025年現在、およそ600人のJ1所属選手で年俸1億円を超えるプレーヤーはわずか28人。年俸1億円は上位5%以内に入る金額です。

出典:2025年 Jリーグサッカー選手 年俸ランキング|サカマネ.net

また2013年〜2014年にかけて日本代表に選出。東アジアカップや国際親善試合などでゴールも記録し、2014年ブラジルW杯でもコロンビア戦で途中出場を果たされています。

柿谷曜一朗の天才エピソード3選

天才と言われ続けた柿谷さんのすごさは、数字以上に“物語”に詰まっています。

Youtubeでインタビューされていた動画があったため、その動画を元に代表的な3つの天才エピソードを紹介していきます。

中学2年でプロになれることを確信

柿谷さんは4歳からセレッソ大阪の育成組織に所属。

小学生の頃から常に上の学年でプレーし、中学1年でU-15、中学2年でU-18に昇格。この中学2年のタイミングでプロになれることを確信したそうです。

中学生2年生と高校生3年生では「子供と大人」ぐらい体格差がありますが、柿谷さんは身体のコンタクトを回避してアシスト役に回るようにプレーされていたそう。

そして中学3年でU-18のスタメンに定着。早くから自分の才能を理解し、また相手の状況に応じてアシスト役に徹するクレバーさも持ち合わせていました。

16歳でプロ契約、でも練習は「野球」!?

幼少期から天才と称され、飛び級で上のカテゴリーでも活躍を続けた柿谷さん。

そしてなんと、セレッソ大阪とクラブ最年少の16歳でプロ契約を締結。

動画の中でプロになるためにどんな練習をしていたのかという質問に対し、なんと「野球の練習をしてました」と回答。

「練習や準備は大事であるが、どれだけ練習しても試合と同じ状況は絶対にない。実際の試合では相手より先に交わせるアイディアを出した方の勝ち。それは練習ではなくて試合をこなしての感覚で身につくもの。そういう意味では野球の練習をしていましたね。」

まさに天才ならではの視点や発言に驚かされます。

Jリーグ年間最優秀ゴールに2度選出!

Jリーグアウォーズにて、“最も美しいゴール”に与えられる「J1年間最優秀ゴール賞」。
柿谷さんはこの賞をなんと2度も受賞されています。

そのうちの一つは、まるでマンガのような美しいバイシクルシュートで話題になりました。

後ろ向きの状態で瞬時にあのシュートを打つイメージを持ち、そして簡単に実行して決めてしまう。流石としか言えません(笑)

相手DFやGKも呆然としているのがまたいいですよね。

この「Jリーグ年間最優秀ゴール」を2度受賞したのは柿谷さんただ一人。まさに記憶に残るゴールメーカーです。

柿谷曜一朗の引退後の生活

2024年に現役を引退した柿谷曜一朗さん。
一つのキャリアに終止符を打ちましたが、その後の活動も目を見張るものがあります。
ピッチを離れた今も、彼らしい“ひらめき”と“表現力”で、新たなステージを駆け抜けています。

ここでは、引退後の柿谷さんがどんな場面で活躍しているのかをご紹介します。

バラエティやイベントでトーク力を発揮

現役引退後、ラジオ、スポーツ番組に引っ張りだこの柿谷曜一朗さん。

またトークが面白く、バラエティ番組にも複数出演されています。実際に、以下のような人気番組に出演。

  • 2025年4月27日放送「ジャンクSPORTS」
  • 2025年6月5日放送「人間観察バラエティモニタリング」
  • 2025年6月10日放送「踊る!サンマ御殿!」

プロサッカー選手時代には見られなかった、ユーモアや気さくな一面がテレビを通じて広く知られるように。

コメント力の高さや独特の視点が「聞いてて面白い」と、視聴者からの好感度も上々です。

サッカーコーチとしても優秀

実は柿谷さん、引退後はサッカーの指導者としても活動中。

高校生年代のJリーグユースの選抜チームのコーチとして指導されている動画がありました。

プレーを言語化して伝える能力が高く、「教え方がうまい」「話がすっと入ってくる」と、指導者としての評価も急上昇中です。

「感覚派」と見られがちだった柿谷さんが、実は理論派でもあるというギャップに驚くファンも多いようです。

まさかの“現役復帰”!?舞台はテックボール!

2024年にプロサッカー選手としての現役を引退した柿谷曜一朗さん。
多くのファンがその華麗なプレーに別れを告げ、今後は解説者やタレント活動に専念するのかと思われていました

しかし――2025年、まさかの“現役復帰”を電撃発表
その競技は、なんとサッカーではなく「テックボール(TEQBALL)」というスポーツだったのです。

テックボールは、カーブした卓球台のような専用台を使って、足や頭でボールを打ち返し合うスポーツ。リフティングやトラップ、パスなど、サッカーの技術を活かせる新感覚の対戦型競技で、世界的にはすでに人気が広まりつつあります。

サッカーで磨いたボールタッチや反射神経、創造力をそのまま活かせるこの競技は、まさに“技術派”だった柿谷さんにぴったりのフィールド。

引退してなお、ボールと向き合い続ける姿勢に、多くのファンが再び心を動かされています。

まとめ:柿谷曜一朗は、現役時代も引退後も“天才”だった!

柿谷曜一朗さんは、幼少期から「天才」と言われ続け、Jリーグ・海外クラブ・日本代表など数々のキャリアを築いてきました。

その卓越したテクニックとセンスは、プレーだけでなく、トークや指導、そして“第二の現役”として選んだテックボールという新たな挑戦でも光り続けています。

引退してもなお、スポーツの魅力を伝え、多くの人に影響を与え続ける柿谷さん。
今後の活躍からも目が離せません!

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