久保建英選手は2歳からサッカーを始め、父親との朝練、母親の徹底した自主性を育む教育のもと、幼少期から才能の片鱗を見せてきました。その成長の裏にはどんなエピソードがあり、どんな努力があったのでしょうか。
この記事では、久保建英選手の幼少期からプロになるまでの道のりを時系列でわかりやすく紹介するとともに、残してきた驚異的な記録や両親の教育方針、才能の片鱗を見せたエピソードについて詳しく解説します。
- 幼少期からプロまでの時系列
- 久保建英が残した驚異的な記録
- 上の学年でも中心だった子供時代
- 久保建英を育てた両親の教育方針
久保建英の幼少期からプロになるまでの時系列ストーリー
- 2001年6月4日
神奈川県川崎市麻生区で誕生。 - 2歳頃
父親と公園でサッカーを始める。 - 幼稚園時代
坂浜サッカークラブに所属し、負けず嫌いでゴールを狙うプレーを見せる。 - 小学校2年生
FCバルセロナのサマーキャンプに参加し、才能を発揮。 - 小学校3年生
川崎フロンターレU-10の入団セレクションに合格。 - 小学校4年生
FCバルセロナの下部組織「ラ・マシア」に入団するためスペインへ渡る。 - スペイン時代(約11〜12歳)
アレビン(11~12歳年代)のAチームでリーグ戦やカタルーニャ杯優勝。 - スペイン時代(約13〜14歳)
インファンティル(13~14歳年代)のBチームに在籍。 - 2015年3月
FIFA規定違反により公式戦出場ができなくなり日本に帰国。
FC東京U-15むさしに加入。 - 中学1年生
2つ上のカテゴリーU-15日本代表に飛び級で招集される。 - 中学3年生
FC東京U-18に飛び級昇格し、日本クラブユース選手権で優勝。 - 2016年11月(15歳)
J3リーグでJリーグ史上最年少出場を果たす。 - 2017年4月(15歳)
J3リーグで史上最年少ゴール記録を樹立。
U-20ワールドカップに出場。 - 2017年11月(16歳)
FC東京とプロ契約を結ぶ。 - 2019年6月(18歳)
日本代表Aチームデビュー。
久保建英選手は2001年6月4日、神奈川県川崎市麻生区に生まれました。
2歳からサッカーを始め、父親と毎日のように公園で練習しながらボールを蹴って過ごしました。
幼稚園時代には坂浜サッカークラブに所属し、幼少期からゴールへの執念を見せていたそうです。小学校2年生でFCバルセロナのサマーキャンプに参加し才能を見出され、3年生で川崎フロンターレU-10に合格、4年生でバルセロナのカンテラ(ラ・マシア)に入団するためスペインへ渡航。
カンテラで技術を磨きながらも、バルセロナがFIFA規定違反で制裁を受けた影響で公式戦に出られなくなり、2015年5月に帰国しFC東京U-15むさしに加入しました。
その後、中学生でU-18昇格、16歳でFC東京とプロ契約と階段を駆け上がり、18歳でA代表デビューを果たします。
幼少期から常に挑戦を続け、ステップアップを繰り返してきたその姿勢が、現在の活躍に繋がっています。
久保建英が残した驚異的な記録
久保選手は幼少期から才能を発揮し、多くの記録を打ち立ててきました。
✅ 2009年:
FCバルセロナキャンプでMVP受賞
✅ 2011年:
バルセロナ下部組織でリーグ戦
30試合74得点を記録
✅ 2016年:
中学3年でクラブユース選手権得点王
✅ 2017年:
Jリーグ最年少出場・ゴール(15歳)
✅ 2019年:
日本A代表初選出・デビュー
(18歳5日で歴代2位の若さ)
2011年、リーグ戦で30試合74得点という記録から同年代では無双状態にあったのが分かりますね。
さらに2016年にはクラブユース選手権(U-18)では高校生最高峰の大会ながら中学生で得点王という結果から3学年上相手でも中心選手であったことが伺えます。
そのまま階段を上がり、15歳でJリーグに最年少出場・ゴールを記録。
2019年に歴代2位の若さで日本代表デビューを飾っています。
幼少期から注目されていた選手が大成するのは簡単なことではありません。これらの記録は久保選手の「努力の積み重ね」の結果であり、幼少期から高い目標を持ち続け、実現してきた証ですね。
才能の片鱗を見せた子供時代のエピソード
幼稚園時代から負けず嫌いで、試合で負けると悔し泣きをすることも多かった久保選手。
百合丘子どもサッカークラブ時代には「失敗を恐れずチャレンジし続ける姿勢がすでにプロレベル」と監督が語るほどでした。
小学校2年でFCバルササマーキャンプに参加した際、誰よりも質問を繰り返して学び続ける姿勢を見せたことも有名です。川崎フロンターレU-12時代にはミーティングで真っ先に自分の意見を的確に述べ、周囲の6年生たちも「タケに従わざるを得なかった」とコーチが語るほど突出していました。
サッカーの技術だけでなく、周囲と積極的に関わる姿勢やコミュニケーション能力も、久保選手が才能を伸ばし続けた大きな要因だったと言えるでしょう。
久保建英を育てた両親の教育方針
久保建英選手の才能の裏には、ご両親による徹底したサポートと独自の教育方針がありました。単にサッカーの技術を磨くだけでなく、人間としての「考える力」「挑戦する心」「自主性」を育む環境を整えていたことが大きな特徴です。
母親の教育方針:
✅ 自主保育グループで異年齢交流・自主性を養う
✅ テレビ・ソファを置かず外遊び重視
✅ 週20冊以上の読み聞かせで言葉と知識を育む
✅ 褒めて自信をつける
✅ ラグビー・レスリングなど多スポーツ経験
父親の教育方針:
✅ 「サッカーを好きにさせる」環境作り
✅ 裸足で遊ばせ足裏の感覚を養う
✅ 毎朝1時間の親子練習で成長を確認
✅ バルサが求める選手像を意識した練習
✅ 常に息子の気持ちを優先・夢を応援
このように久保選手のご両親は、「自主性」「好奇心」「挑戦する力」を大切にし、褒めて伸ばす環境を整えてきました。
やりたいことに全力で取り組める環境があったからこそ、久保選手は小さな頃から自ら考え、努力を続ける習慣が身につきました。
その積み重ねが、夢を実現させ、今の久保選手の世界で活躍する姿につながっているのでしょう。
まとめ|幼少期から積み重ねた挑戦が今の久保建英を作った
久保建英選手は、2歳からボールを蹴り始め、幼少期から高い目標に挑み続けてきました。
その裏には、両親による「自主性」「好奇心」「挑戦する力」を育む環境と、褒めて伸ばす教育があったからこそ、努力を継続できたのです。
幼稚園時代から負けず嫌いで挑戦を恐れず、小学生でバルセロナへ渡り、中学生でU-18へ飛び級、15歳でJリーグ最年少出場、18歳でA代表デビューと着実にステップを駆け上がりました。
華々しい記録の裏には、日々の努力と小さな積み重ねがあり、それが現在、世界で活躍する久保選手の姿につながっています。
夢を叶えるために挑戦を続ける姿勢の大切さを、久保建英選手の歩みから学べますね。今後の活躍にも期待しましょう。
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